JDのひまつぶし

暇な時のひまつぶし

迷惑かけたくないし治るまで戻らないでおこうって思ってたけど治りそうにない。


むしろ悪化していってる。



人と距離を置いてゆっくり過ごそうって、そして自分のこと大事にしようって思ってたけど結局ダメで。


生きてるのがしんどい。


ずっと自分なんか必要ない。迷惑だ。みんなから嫌われてる。って声が頭の中ぐるぐるしてて気が狂いそう。

2018/5/12


しんどい苦しい


なにが?どうしたの?


わからないわからないわからない

でもとにかくしんどくてぐちゃぐちゃになってどうしようもなくなって息苦しくて逃げ出したくてどうすればいいのかわからなくて

相談できないけど相談したくなって

叫びたくなって

心臓を誰かにぎゅっと握られてる感じで

息苦しくなって泣いて

でもなんで泣いてるのかわかんなくて

本当は理由があるはずなのにわかんなくて

だから余計苦しくて

とにかくどこか遠くへ行きたくなって

今あるものすべてぐちゃぐちゃって丸めて捨てたくなって

消えたくなって

どこに行っても苦しくて

どこに行けばいいのかもわかんなくて

全てが自分を否定しているようで

人の笑い声とか話し声が怖くて

いろんな物音が一気に自分の中に押し寄せてきて

うわああああああああああって

耳を塞いで叫んで泣き出したくなって

どうすればいいのかわからなくて

どこにも行けなくて逃げ場がなくて

苦しくて

衝動的に身体傷つけて

後悔してそんな自分が嫌になって

また息苦しくなって

早く消えてしまいたい


2018/5/6

『思いは言葉に』


はてなブログのキャッチコピーだ。


私は昔からこれが下手くそだ。

自分の感情や考え、思いを言葉にすることがとてつもなく下手だ。苦手だ。


『伝える』よりも先に感情が、思いが先行してしまう。ぴったりの言葉や伝え方を選べない。これでは幼児と変わらない。


そしてそれ以上に自分自身すら感情に置いていかれる。感情が先走り自分の考えが追いつかない。自分でも感情がわからないことが多々ある。言葉にする以前にこの感情が、自分の中の考えが、わからない。

 

わからないけど苦しい。


わからないから苦しい。




自分自身でもわかっていないような感情が舵を切るから何度も選択肢を間違える。たくさんの人を傷つけてしまう。自分自身を傷つける。

「なんであんなこと言ったのか」「あんなことしなければよかった」

誰しもが抱くものではあることはわかっているけれど、私のそれは人のそれより多すぎる。ずっと、ずっと。

だから自分を愛することができないんだろう。

感情を殺さないから、殺さないから

感情を生まれたままの姿で置いておくから、

感情の我儘を聞いてしまうから、

周りも自分自身も傷付き、離れていく。


そうして感情の野放しになる。

悪循環。



私が私を愛せない理由はここにあるのかもしれない。



『思いは言葉に』






'13

全く怒りは収まらないし明日からまた一週間始まるし明日の予習はまだ出来てないしバイトも本格的に始まるしクソみたいな日だな


一年前の自分に会ったら言ってあげたいね

そんなものよりもっと他のものを糧にして頑張れよって

それか契約書でも書かせろよって

期待しすぎたらロクなことないからなって

その貯めてるお金も他のものに使え

どうせ使う日は来ないからって


絵文字1つで済まされることやってん

その程度のことでしかなかってん

所詮世の中そんなもん


明日はそのお金で登山用の靴でも買ってこよう




-13


とうとう終わりました。

長いようで短かったし、短いようで長かった。


今日は予備校に行って、今年と去年のチューターに報告して友達と会って思い出話をした。
たった一年だったけど本当に濃い一年で、3年間過ごしてたみたいだったなって。
もうこれからはバラバラになってしまうけれど、大学生になってもまた集まりたいな。次に会うのは23日かな。もう会えなくなるのは寂しい。



昨日はたくさんのメッセージをいただいて、今日は予備校への報告と大学に掲示を見に行った。バタバタとした2日間だった。


合格発表のとき親戚やご近所さんが泣いてたのに私はびっくりするくらい冷静だった(笑)
そもそも合否はもうどっちでもいいやって思ってたし、何よりも実感が湧かなかった。
そのあともバタバタしてたから余計に。

今日大学に改めて行って、少しずつ実感が湧いてきて。
お風呂に入ってる時に「もう終わったんだなぁ」って思ったらなぜか涙が出てきた。

受かった喜びというより、終わった安堵感とか寂しさみたいなものだった。



一年、浪人して良かった。


この一言に尽きる。


受験はあくまで通過点でしかない。また四年後大きな試験が待っている。また頑張っていかなくては。



That which was bitter to endure may be sweet to remember.